怒りを抑える
ラマ・ゾパ・リンポチェ
1997年5月、ヴァジュラパニ・インスティテュートの講義から。英訳:ツプテン・チュードロン
怒りを抑える事に関して、ダルマには様々な方法があります。代表的なものは、怒りの不利益を考える事;空性について瞑想する事;カルマについて考える事の3つですが、そのほかたくさんあります。自分に一番効き目のある方法を実践して下さい。ゲシェ・ワンギャル師はカダム派の教えを英語で出版しました(Door
to Liberation, Wisdom Publications)。その中に6つの忍耐の修行法が述べられています。これを書き留めたり、記憶するかして、怒りを覚えた時すぐに使える様にしておきなさい。
問題が起きた時は、まず、瞑想の技術が使えるのだという事を思い出しましょう。瞑想の技術の使用を忘れる事自体、1つの問題です。しかしひとたび瞑想のやり方を思い出してそれを使えば、効き目は確実にあります。瞑想を使う事を忘れていれば、迷いに負けてしまいます。
怒りの不利益を考える事は有益な方法です。怒りは功徳を破壊します。今の、現世の幸せを壊すだけに止まらず、怒りは、もっと、もっと長い目で見た時の幸せ、解脱し、悟りを得る可能性までも破壊するのです。菩提心を持つのにも大きな障害です。怒りを鎮めて初めて、衆生に大きな慈悲を与える事が可能となるのですから。くわえて、あなたが怒りを覚えているその人物により、あなたが悟りを得る日は、何千劫年も遅くなってしまいます。菩提道灯論には、一回、怒りを覚えれば、それだけで悟りを得るのが1千劫年遅れると書いてあります。しかしあなたに怒っているその人は、その一方であなたに忍耐を修行する貴重なチャンスをくれてもいるのです。「それだからこそ、私は自分の怒りを克服できる。忍辱の修行を円満し、智慧と方便の2種の力を獲得し、心の煩悩を抹殺し、完全なる悟りへの道を究めるのだ。将来、すべての衆生を苦しみから救い出し、悟りへと導く事が出来るようになる。」衆生に献上すべきこのような無量の功徳の根源は、あなたを怒らせているその人物に対する忍辱の修行によって、またあなたを傷つける行為に対する忍辱の修行によって生み出されるのです。敵対する人のあなたに対する怒りは今述べたように大変貴重で、且つダルマの修行には不可欠なものなのです。
空性に対する瞑想で、怒りを止める事が出来ます―空性はすべての煩悩に対する救済でありますから。なぜか?それは空性は無知の毒を消す薬だから。そして無知はすべての煩悩の根源でありますから。空性についての瞑想をすれば、すぐに怒りは止るのです。怒りが湧き起こるのは、対象を正しく理解していない時です。間違った「私」、間違った「敵」、等々、決して存在していない対象を、真実として、また実存していると考えている時に、怒りは現れます。空性に対する瞑想では、「私」というものの真実の姿、「他人」というものの真実の姿を見つめます。それにより、怒りの依って立つ土台がないという事を見るのです。この瞑想が煩悩を断つもっとも有効な解毒薬と呼ばれる理由です。空性の瞑想をした後でも怒りを覚えるなら、その瞑想が中断している証拠です。空性の注意深さが止ってしまったので、怒りが出てくる余地が出来てしまったのです。
空性の瞑想がまだしっかりしていないなら、カルマを考える方法が怒りを止めるのに大変有力になります。仏教哲学の基本に起ちかえり、自分の意識以外には創造主は存在しないと確認します。仏教者は創造主を持ちません。あなたの意識の外に、命を創造する存在があるとは考えません。この教義が仏教に特徴的なものです。仏教的見地からはあなたの生命を存在せしめる何らかの外的存在は認めません。あなたの意識、あなたのカルマのほかにはどんな創造主も存在しません。
あなたの幸せは自身の意識によって生まれています。あなたの五蘊―身体と意識(感覚も含む)の協調体、形、色、匂い、味、触覚の感覚対象の捕らえ方、感覚がその対象と接触した時に生成される感情、それらのものの本質は苦であります。あなたの世界はあなたの意識によって左右されています。なぜなら、過去のすべてのカルマ―善業、悪業、そのどちらでもない中間的な行為―そのすべての痕跡があなたの心相続に残っているからです。そういうカルマの痕跡が姿を顕したものがあなたが出会う様々な出来事や経験なのです。人間に生まれた事、人間の境遇を得た事自体がカルマの痕跡の結果にほかなりません。幸福感や苦しさなどの感情もそれに特定されるカルマの痕跡がそういう形で実を結んだ事にほかなりません。究極的には、あなたの経験はすべて、自分の意識から出ているのです。
五蘊、感覚、感覚対象の見方、対象と接触した時に感じる気持ちはカルマによって起こります。カルマは意識的な精神要素です。カルマはどこから来たと思いますか?それは無知からです。一二支縁起でも無知がまず第一番に説かれます。無知からカルマが生まれ,カルマがあるから体験とその結果があるのです.全てはあなたの意識から生まれています.意思的な精神要素としてのカルマと、輪廻転生の根本である無知―固有に存在する自己という概念―が原因です.人々の幸福と不幸はこのような仕組みで生まれているのです.
一度カルマのことを考えれば,心には怒りが占めるスペースはなくなります.なんとなれば,そこには誰一人として,責められるべき対象が見つからないからです.カルマを考えると言うのは,自身の意識より他に何の創造者も見出せないという仏教の根本教理に立ち返ることに他なりません.実際の生活にこの教義を生かしなさい.単なる教えとして受け取るだけ,ノートに書きとめてあとは戸棚の上にノートを置いておくなんていうのはではだめです.いつもこのことを心にとめて,日常生活に生かしましょう.何か問題があるときはなおさらの事です.カルマの教義は哲学的問題としての議論が興味深いだけではなく,自分の心を鎮めるのにも大変有効なものです.
怒りが生まれるのはどういう時かといえば,心が外の創造者を信じているときです.自分以外の他者がこの問題を引き起こしているのだと思っているのです.「この問題はあの人のせいだ.」こう思うのは他の創造者を信じているのと同じです.まったく正反対な二つの態度をとっている事になります.カルマや仏教教理の事を論議し,またそれを信じている事,一方,実生活で困難に直面すると,その問題を起こした何か他の存在があるのだと考える事.仏教の教えにしたがって修行し、自分のほかには創造者はいない事を確信するかわりに,この問題は誰かのせいだと,自分以外の創造者があると信じる修行をしてしまっている.「そうよ,これは彼女のせいよ.」と。日々の生活ではまるで他の宗教の信者と同様の態度をとっている.たとえGODという言葉を口にしなくとも,あなたの問題を引き起こした誰かと言う創造者を信じてしまっています.これを基盤に怒りは生成されるのです.
でも,自分自信が全ての創造者なのだ,自分の心が全てを作っているのだ,全ては自分の作ったカルマの結果なのだと考えた時から,自分の外側には責めるべき対象がないのだと知り,怒りが依って立つ基盤がない事がわかるでしょう.誰かに仕返しをしてやりたい,傷つけたいという思いはその人があなたに害をなしていると考えるから出てくるのです.自分は無罪の犠牲者で,その問題には責任はないと考えるからです.
カルマを考えるのは大変強い力です.それが全ての基礎となるのですから.
2001年7月1日
和訳:大留
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