ラマ・トゥプテン・ゾパ・リンポチェの紹介

大乗仏教保存財団(FPMT)の最高指導者である、ラマ・ゾパ・リンポチェは、1946年ネパール、エベレスト地方のターミ生まれ。幼くして、クンサン・イェシェの転生であると認定されました。クンサン・イェシェとは、ラマ・ゾパ・リンポチェの生地近くのラウドの洞窟で20間瞑想修行を続けた、シェルパ族のニンマ派修行者で、ラウド・ラマとして知られていました。ラウド・ラマ以前は転生の系譜ではサキャ派でしたが、クンサン・イェシェはニンマ派密教の奥儀を窮めた修行者でした。

ゾパ・リンポチェは4歳にして、ネパールとチベット国境付近の僧院に入り、12歳までそこで過ごします。1958年に沙弥戒を受けるためチベットに入り、パーリのドモ・ゲシェ僧院に赴きました。1971年、ゾパ・リンポチェはブダガヤにおいて、リン・リンポチェから具足戒を授かりました。

 

1959年、チベットを逃れたリンポチェは、北インド、ブクサデュアのセラ・ジェ僧院で修行を続けました。この僧院は亡命チベット僧のためにインド政府が提供したもので、ラサの三大寺院、セラ、ガンデン、デプンの僧侶、その他の宗派の僧侶もともにここで学びました。ゾパ・リンポチェは、ブクサデュアではゲシェ・ラプテン・リンポチェに師事し、続いてラマ・トゥプテン・イェシェに師事することになりました。また、チベット僧のスポンサーとして名高いフリーダ・ベディが設立した、ダロウジーの転生ラマのための学校に招かれ、そこで6ヶ月間英語を勉強する機会を得ました。

 

FPMTとは?

FPMTFoundation for the Preservation of the Mahayana Tradition)の創設者である、ラマ・イェシェとゾパ・リンポチェは、1965年、インドのダージリンでロシア貴族のジーナ・ラチェフスキーと出会い、彼女はラマ・イェシェの最初の西洋人弟子となりました。1969年、ネパールの有名なボーダナート仏塔を見下ろすコパンの丘に、ネパール仏教ゴンパセンターをおこし、ジーナの要請により、コパンで西洋人に教えを説くようになりました。

1975年までには欧米に12のセンターができており、増え続けるセンターを統合する機構として、大乗仏教保存財団(FPMT)が1976年、ラマ・イェシェにより、設立されました。1984年のラマ・イェシェの遷化後は、ゾパ・リンポチェがFPMTの指導者として、各地のセンターの指導をしています。FPMTは大乗仏教の伝統と教えを世界に正しく伝えるため活動しており、20084月現在、世界各地に150のセンターをもち、各種慈善事業を進めております。

 

 

FPMT8種類の教育プログラムを提供し、各地のセンターで学習・実践されています。マスタープログラムは6年、ベーシックプログラムは5年の全日制コースで、チベットの僧院で使用されている仏教哲学書を、厳正な基準に従って翻訳したものを使用して学習しています。FPMTでは素晴らしい哲学書の内容が翻訳によって損なわれることがないよう、原書の意味を正確に写すため、大きな熱意と誇りを持って翻訳に当たっています。この他、人気の英語の通信教育コースも提供しています。